活動日誌

大河原としたか参院選予定候補と朝宣伝

大河原としたか参院選京都選挙区予定候補と一緒に、戦争法案撤回、大西ケンジ市議の会計不正処理疑惑許すな、と朝宣伝しました。

みつなが府議、加藤市議、とがし前市議も一緒でした。

(更新日:2015年08月03日)

大西ケンジ氏は市議の資格なし

日本共産党京都市会議員団は、市内各地で宣伝を行い、①戦争法案を何としても撤回させよう、②大西ケンジ市議の会計不正処理疑惑の徹底解明、の2点について訴えました。

大西市議については、自分が勤めていたNPO法人に今年2月に会計の不正処理を指摘され、3月に240万円を返還。その後の記者会見で私的流用はしていない、と言いつつも、なぜ240万円返したかについてはまともな説明をしていません。

その後、NPO法人は240万円では不十分で、さらなる不正疑惑が分かったとして、検察庁に告訴すると発表しています。

ここまで疑惑が膨らんでいながら、市民に対しては、相変わらずだんまりを決め込んでいるのですから、大西市議には議員としての資格はないと言わざるを得ません。

また、こうした事実を知っていながら、公認候補として選挙を行わせた自民党にも重大な責任があります。

政治と金にまつわる疑惑をあいまいなままで済ませるわけには行きません。

(更新日:2015年07月27日)

自営業者さんは災害の際にも大活躍

7月17日から18日にかけての台風11号による大雨は、左京区各地でも被害を発生させました。

20日に一乗寺の波切不動尊に行ってみると、大量の土砂で境内が埋まっていました。幸い、建物などの被害はなかったとのことですが、土砂の量が半端ではありません。

そこで大奮闘されていたのが近くの左官屋さん。自分の会社が持っている小型の重機で土砂をトラックのところまでかき出していました。

自営業者さんや、商売をされている方が、災害の際にも重要な役割を果たすと言われていますが、まさにその通りです。

(更新日:2015年07月25日)

市会議員団で宣伝

戦争法案の衆議院での強行採決に抗議し、参議院で廃案に追い込もうと、市会議員団で三条河原町で宣伝。

雨と風の中、30分ほどの宣伝にたくさんの署名が寄せられました。

(更新日:2015年07月16日)

戦争法案強行採決に抗議する朝宣伝

戦争法案強行採決に抗議する朝宣伝を、みつなが府議、加藤市議、とがし前市議、はら2区国政委員長と私の5人で熊野交差点で行いました。

台風の影響で、雨、風が時折吹き荒れる中での宣伝でしたが、車からの反応はたくさん。

安倍政権を世論で包囲し、廃案に追い込みましょう。

(更新日:2015年07月16日)

アベ政治を許さない!

一昨日からの3日間、富山市・上越市・さいたま市と出張でした。その最終日の今日、国会では安倍政権が戦争法案を委員会で強行採決。許せません。

「アベ政治は許さない」の大きな世論で安倍政権を包囲し、廃案へと追い込みましょう。

写真は、視察先の上越市の鉄道駅に表示されていた「非常停止用赤旗」の看板。赤旗はアベ政治をストップさせるために有効です。

(更新日:2015年07月15日)

市内網の目平和行進

毎年恒例の市内網の目平和行進が行われ、岩倉明徳小学校から市役所までの左京コース8キロ強の道のりを、延べ70人が歩きました。

安倍政権の戦争法案に対する怒りからか、沿道から手を振ってくれる方が、例年よりも明らかに多いことに励まされました。

(更新日:2015年07月11日)

岩倉9条の会・岩倉北9条の会の10周年記念

岩倉9条の会・岩倉北9条の会創立10周年記念「講演と文化の集い」が行われました。

開会あいさつは画家の村田茂樹さん。辺野古のまちをテーマに書かれた絵が、会場の正面に飾られていました。

講演は朝日歌壇の選者である永田和宏さん。

なによりも先に言葉が奪はれて言葉が民衆を追ひ立てるのだ

この短歌に今日の講演のテーマが詰まっていました。

最後はケイ・シュガーさんの歌声。京都で生まれ育った方と初めて知りました。

(更新日:2015年07月05日)

戦争反対・声をあげよう大集会

円山音楽堂で行われた「戦争反対・平和が大好き・6・13声をあげよう大集会」に向けて、左京区では、戦争法案に反対する左京の会のみなさんが、百万遍から円山音楽堂まで、ピースウォークを行いました。

炎天下、83人もの方が左京ピースウォークに参加。円山音楽堂は2300人であふれていました。

(更新日:2015年06月13日)

洛北診療所・平和のつどい

岩倉にある洛北診療所には、今、磯田豊治さんの描いた絵が展示されています。

磯田さんは、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)の在学中に召集され、1945年4月1日、フィリピンのレイテ島で戦死しました。

ご家族の言葉が添えられています。-「職人の家ながら、豊治さんは、職人でなく図案化や日本画家を目指していたのではないか。まだ、将来を決めかねている、まだまだ未来がある、そんな年頃に書いた絵画です。」

若の者の未来を奪った戦争、しかも日本がアジアの国々を侵略した戦争で奪われた命。許されない過去の教訓の上につくられた憲法9条を、絶対に守らねばなりません。

今日は、診療所の平和のつどいも開かれ、被爆者を含めて様々な方から戦争体験が語られました。部屋に入りきらないほどのたくさんの方が参加されていました。こうしたつどいが無数に開かれていくことが、平和を守っていくことにつながると、強く思いました。

(更新日:2015年06月12日)