コロナ禍の学生生活は、やはり、それ以前とは一変しています。長男(大学2年)は、昨年と比べると学校に行く機会も増えてきています。授業ではなく、自主的な活動として、同級生と一緒にオペラの練習などもしており、そうした活動は楽しいようです。
一方、みなが集まることができるようになりつつも、一緒にご飯を食べたりするのも気が引ける、まして旅行に行ったりということなど全く無理。昨年のように、同級生に合うことすらなかったときよりは今の方がましなのですが、友達と仲良くなっても、一緒に遊べない、というのは、それはそれでストレスがたまるようです。当然の感情だと思います。
公の責任で、コロナの対策をしっかりと行い、学生だけでなく、誰もが普通に生活ができる状況にすることが求められています。
ところが国は、公の責任を果たすどころか、コロナ対策にさえ、自己責任を押し付けてきています。そして、そのやり方を市長がそのまま京都市に持ち込んできています。
市長が決定した「行財政改革計画」は、様々な市民負担増と制度改悪を行おうというものであり、あらゆる分野において、自己責任を押し付けるものです。一方で、北陸新幹線などの巨大プロジェクトは推進。こうした政治を一刻も早く転換させましょう。
(更新日:2021年09月19日)